私が死んでも伝えたいコト
もしも私が突然亡くなったとしたら
私は、今まで関わった人たちをどう思うのだろうか。そして私がどうしても伝えたいコトとは何かを真剣に考えてみた。きっかけは、ジーニマムソリューションの6番目のワーク通称「お葬式ワーク」をやってみた。「今を生きていること」を深めていくために、それがどれだけの奇跡であるかを同時に感じていきたい。時間は命、その命をどう使うのか。伝えるべきことを世界中の人に伝えたいこと。
そもそも
昔の私は、生きているのか死んでいるのか、まるでゾンビだった。
そこから、今の私は、生きてよかったと思えるようになった。
昔の私は、なぜ生きているのか、なぜ生きなくてはならないのかがわからず、この時代の生きづらさをただただ感じていた。ゾンビのように会社と家を往復する毎日。特に何かをしたいわけではなかったし、人と深く繋がることも、ちょっとしたことで人との関係性を簡単に切られるのが嫌だった。
幼少期は、愛され、可愛がられていた。そう私は、正真正銘のいい子であった。だから自分の気持ちを大切にするのではなく、自分の気持ちは殺して、相手が楽しそうにしている、変わらない安全な環境にほっとしていた。いつも優先すべきは、自分の思いや意見よりも、世間や親、家族、上司、友人知人にとって「いい子」であることだった。つまり自己肯定感の低い、自分にとっての悪い子であった。
どんな自分になって何をしたいのか
例えば、何をしたいからそれをやるのでは、やりたいことが無くなれば、おのずと無気力になる。どんな自分=人間になって、何をやるのか。この問いに答えられる人はどれだけいるのだろうか。
何をやっている人だから、すごいとかでなく。
人はすごい価値が大前提ある、そこから何をやりたいのか。
この価値基準から始まる生き方を伝えたい。
それは脳で作りあげることではなくて、心が創りあげていくことだと理解してもらうためには、心が創り上げる仕組みを「nTech」で明確に知ることができる。
そのプログラムを体系化し、さらに体得化させていく。
どの世界であなたは生きたいですか?
何が変わるのか。
生き方すべてがひっくり返る。
ひっくり返れば、すべての物事は輝きだす。
ある世界。
あるべき世界。
あったらいい世界。
ない世界。
どっちも楽しめる世界。
私が死んでも伝えたいコト
それは基準点が変わりものの観方が180度、360度、720度変わる世界を技術として道具にできる「nTech(認識技術)」の価値です。